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旅行記

2014年8月 8日 (金)

Over The Line 赤道を越えて 1日目

 一通り準備を終えて、出発当日。
 普段なら、前夜に荷物の詰め込みをやって朝一に出て行くのだが、今回の出発便は19:55。
 朝もゆっくり起きて荷物の用意してから、午後一位に出発。
 サイフとパスポートはしっかりチェックしてあれば、旅は成立するので。
 試合のチケットは現地で貰う事になっていたし。

 今回の出発も成田だが、毎回行き方に悩むところ。
 近くの駅からの直行バスが楽は楽なのだが、結構高くつく。
 渋谷から成田エクスプレスも駅構内の移動が大変。

 で、いろいろ考え、時間に目茶苦茶余裕がある…なんせ飛行機に乗るだけ…ので、京成のローカル線使ってみるかと。
 田園都市線~半蔵門線で押上まで行って、そこで京成線に乗り換えれば1回で済む事を見つけた。
 実際どうかな?と思ったけれど、押上駅構内の乗り換えルートをちゃんとチェックしておけば、キャリーケース持ちでも充分使えるルートだと判明。
 運賃も安いし、時間もそれ程かからない。 穴場的ないいルートを見つけたもんだ。
 ただ、朝一で移動で時間に余裕が無いとなると、ちょっと怖くて使えないので帰宅時のルートかな。

 成田についてパスポートチェック無しで空港に入るのにちょっと違和感があったけれど、これが普通なんだよね。
 今回のJALは第2ターミナルなので、第2ターミナル駅から空港に入る。
 最初に両替をと、近場の両替所に入ってオーストラリアドルに両替。
 高い物はカードを使う予定なので、交通費やちょっとした食事代くらいなら、それ程いらんだろうと少なめに。
 それでも余ったけれど。
 しかし、円安になった事を思い知る一瞬だった(笑)

 両替後、相方とオーストラリアドルを分散して持ち、次の目的地であるモバイルwi-fiルーターのカウンター。
 一応サイトのコピーを持ってきたけれど、ちょっとまごついて行ったり来たり。
 それらしいところで聞いたら、ビンゴでした。
 一式は地鮫のポシェットに収められていて、充電用USBケーブルや外付けバッテリーの他に変換アダプター2個も入っていた。
 恐らく本体充電とバッテリー充電を両方やるとき用なのだろうけれど、変換アダプターがあるのは助かった。
 他の家電と使い回しできたし(笑)

 そんな用事を済ませても、19:55はまだ先。
 チェックインをした後でもまだ時間が余るので、カードのラウンジでしばらく待たせてもらう事に。
 夕方になっていた事もあって、ビールのサービスが始まっていたので、おつまみと一緒にサービスして貰って、出発前の一杯を楽しませていただく。
 義理で作ったカードなれど、こう言ったところで少しは元が取れるなら(笑)

 そんなこんなで、搭乗時間が迫ってきたので、ゲートに向かう。 

Cimg_3033

2014年8月 7日 (木)

Over The Line 赤道を越えて パッキング

 普通、アウェー参戦の時は、サイフ・チケット・レプユニ・タオマフが最低あれば何とかなるので、これを基本に使いそうなものをバッグに詰めていく。
 一泊してくる場合は下着の着替えも入るけれど、それほど荷物が増えるわけでも無い。
 ホテルでLANが使えて、滞在時間が長くできるときはパソコンとモバイルwi-fiルータも持っていくけれど。

 ただ、今回の場合気候が全く逆と言う事と、一応3泊実質2泊なのでもう少し荷物が増えた。
 今回は相方とキャリーケースを共用で、以前に買ったヴィクトリノックスの10日レベルのそれなりにデカい奴を持って行った。
 向こうで着るポロシャツやTシャツハーフパンツの類と、現地が雨らしいと言う事でサンダルを用意。
 今回の宿泊先のシェラトンハイドパークは結構グレードが高かったので、こっちから色々持ち込まなくても済むので助かった。
 それでもそれなりの荷物量になったけれど。
 機内持ち込みできないスイスアーミーもこちらに格納。

 その他、機内持ち込みにやはり良く使うトートバッグを利用。
 ロストバケージされては困るレプユニの類はこちらに入れて持ち込み。
 成田で受け取ったwi-fiルータもこちらに入れておいた。
 その他に機内で読むつもりの雑誌なんかも入れた。

 bay blueや55-250mmズームはやはり何時も持ち歩いているMANHATTAN PASSAGEのフロンタコラボ仕様メッセンジャーに。
 このあたりは何時ものものが入っている。
 その他にパスポートや旅程表やらガイドブック類を入れて、ほぼ満杯状態。
 上着があれば、そっちに入れておきたいものもここに入れている。
 こう言った時には、今の奴の次の年に出たもっと大きいメッセンジャーの方が役に立ったと思う。

 3泊4日うち機内1泊と言う旅の割りには結構な量になってしまった。
 このへんが旅慣れてない証かもしれない。

2014年5月31日 (土)

Over The Line 赤道を越えて 調査

 調査といっても大した事は無いのだが、まずシドニーって場所の事はまるで知らないので、多少はチェックしておこうと言う事で。

 手元には20年以上前のオーストラリアのガイドブックがあるが、流石にこれは古過ぎる。
 当時でも結構良い値段だったが、流石にこれが通じる事は無い訳で。

 近所の本屋で色々とガイドブックを見たが、まずオーストラリア全体のガイドブックは無駄が多すぎる。
 行くのはシドニーだけなので、他の地域は見る必要がない。
 シドニーだけのガイドブックを捜し、現地に持って行けるサイズでと思ったが、これも中を見るとあまり参考にならないなと言う感じのものが多く悩む。
 その手の1都市滞在者向けって、女性を対象にしているようでグルメやショッピングに重きを置いている風で、その手の所は二の次三の次なウチの場合はそれより欲しい情報が無いのが辛い。

 結局、この手のガイドブックでは定番の「地球の歩き方 シドニー&メルボルン」をチョイス。
 決め手は鉄道路線図が有ったところと、シドニー繁華街の地図が見やすくなっているところ。
 切符の買い方はネットでYoutubeなんかでアップされてたりするので、そちらも参考にしたけれど。

 ガイドブックが決まって、取り敢えずどんな所かをチェック。
 特に困ったのは服装。
 こっちは3月中旬でも寒い日はあるし、実際出国/帰国日は天気も悪くかなり寒かった。
 南半球の気候は反対とはいえ、あちらは夏から秋へ向かうので、同じ様な服装では困る。
 このあたり、同じ北半球なら寒いか暑いかは程度の問題なんだけど。
 取り敢えず、向こうでは夏仕様にする事にしたが、問題はこっち。
 裏地付ウィンドブレーカーにあとは重ね着で行く事にした。
 結論から言えば、これで充分。
 夏仕様についてはもうちょっと真夏モードでも良かったかもしれない。

2014年4月13日 (日)

Over The Line 赤道を越えて 準備

 海外と言えども、基本はアウェー遠征と変わらない…と思ったのだが、流石に何時もの様にユニとタオマフとチケットを最低持っていけば良いと言う訳にもいかなかった。
 それでも目的ははっきりしている分荷物の無駄は無い筈だったのだが、相方と二人で最大サイズのキャリーバッグ一個にきっちり詰めていく事になるのは、荷造りのときまで気づかず。

 7年前の旅行から、大きく代わったのは電子機器の大幅な増加。
 旋回持って行った機器はドライヤーとデジカメの充電器くらい。
 それに対して、今回持っていくのが、上記のドライヤーとデジカメ用充電器の他にスマホ用充電機器2台分(ACアダプターとUSBアダプター)、エネループの充電器これまた2台分。
 それに海外用wi-fiルータもレンタルしていくので、それの充電環境も必要。

 EOS Mのバッテリーは安価な互換品を購入して、充電の機会そのものを減らしたものの、その他はホテルにいる間お世話になるもの。
 ホテル自体のコンセント数がどれだけあるか判らないので、タコ足できるテーブルタップをビックカメラで捜したが、国内用の100V専用しか無く、旅行用品売り場にも無いので、Amazonで検索、ソコソコ使えそうなものがあったので3個口のものを購入。
 テーブルタップをコンセントに差す変換アダプターも手持ちの一個だけでは足りないので、もう1個購入。
 幸いホテルの引き出しに変換アダプターがあったので、アダプターに関しては余裕があった。

 昔の変換アダプターって、丸棒2本のたしかCタイプを噛ませる必要が有ったが、今回買ったテーブルタップは国内用の並行2本のAタイプを挿せるタイプだったので、非常に助かった。
 スマホ用ACアダプターとUSBアダプターを並行して使いたいのに、変換アダプターが無くて一台づつしか出来ないとなると、かなり大変な事になるので。
 こう言った製品も日々進化しているんだなと納得。

 USBアダプターも1個口の物は持っていたが、wi-fiルータの充電も使用したいと思い2個口のものを追加購入。
 これは普段も使えるので、結構便利に使っている。

 今回新規に購入したのはこの位。
 プラグの変換さえできれば、240V対応機器ばかりなので、今あるもので充分対応できる。
 次に出掛ける時はどこに行くにしろ、電子機器関係では追加購入するものは無しで行けそうだ。

 

2014年4月 6日 (日)

Over The Line 赤道を越えて prologue

 シドニーへ行こうかと思ったのは元旦の事。
 鞠が天皇杯を取ったので、ACLで川崎は当初鞠が入る予定だったグループHにスライドした。
 グループリーグの対戦相手は中国の貴州、韓国の蔚山、そしてオーストラリアのウェスタンシドニーの3クラブ。
 一度は海外でサッカーが見たいと思っていたし、川崎の試合で見れればなお良いと、ACL出場が決まった時点でどうしようかと。

 折角休み取っていくのに、中国や韓国…しかも地方都市なんかに行くのは勿体ない。
 シドニーなら結構面白く行けそうだし、そこそこ飛行時間もあるので海外に行った気になる。
 国内移動と大差ない程度だと、なんか損をした気分だし。

 それにウェスタンシドニーにはあの小野がいるから、対戦相手がまるっきり判らない訳でも無い。
 このあたりは結構重要。
 なじみの選手もいなければ思い入れもないクラブのサッカーを、わざわざ高い金払って見に行く位なら、川崎や町田の遠地アウェーにその分行きたい訳で。
 「有料テレビで見れれば現地に行く必要なし」な海外サッカーファンとは住む世界が違う(笑)

 2月に日程がはっきりした時点でシドニーのツアーを捜し始める。
 目的ははっきりしているので、試合のある3/19がフルにフリーで使える日程で探す。
 ネットで捜してたらそれを感知されたおかげで、行くサイト行くサイトみんな広告が旅行会社や航空会社となったのは、しっかりネット監視しているんだなと笑えた。
 その後必要なものを買ったりレンタルしたりするのに検索してたら、その都度その類の広告に変わるのだから大したものだと思う。

 最初はチケットとホテルを自分で手配してと思ったが、確かに簡単にネットで出来る。
 ただ、時期的にシドニーはホテルの空きが少ない様で、中々良いところが見当たらない。
 それならばとフリープランを検討しつつ、川崎のアウェーツアーをJTBが企画していたので、そっちがいいならそちらを選ぶつもりでいたのだが…。

 JTBのアウェーツアーを見て、いくら弾丸でもこれは無かろうと言うか、「出来ればやりたくありません」な本音が見え隠れする内容と値段だったのでこちらは断念。
 ジェットエアーで前日出発でケアンズ経由で試合当日朝にシドニー入り。
 試合開始までの時間潰しにバスで車窓中心の市内観光後にスタジアムへ。
 試合終了後にホテルにチェックインして、翌日5時出発でやはりケアンズ経由便で帰路につくと。
 これでサーチャージ別で19万ほど。

 これに対して検索して出てきたツアーで使えそうだったのが、ジャルパックのシドニー4日間。
 16.8万~でサーチャージ込み。 これが最低グレードのホテルでクチコミ見るとJTBアウェーで使うホテルよりホテルのランクは良さそう。
 ただ、折角行くのでホテルは交通の便のいいちょっとグレードのいいところにして、18.4万に。
 割り当てられたシェラトンハイドパークは快適な良いホテルだったので、差額を払った甲斐があった。

 これで足と宿泊場所が決まった。

続く
 
 

2007年7月 8日 (日)

イタリア旅行その14

3日目 ヴェネツィア ⇒ フィレンツェ編 その2

 ローマ広場に到着すると、既にバスは待っていた。
 荷物室にスーツケースが仕舞われるのを確認した後乗車。
 出発前だが早速?バスの中でミネラルウォーターが売られる。
 中の冷蔵庫で冷やされた状態で、500ミリが1本1ユーロ。
 バールでは最低でも1.5ユーロはしたので、早速人数分買い込む。
 半ばサービスもあるのだろうが、安いし店に並んで買わなくて済むのは助かる。
 どうもバスには常備しているらしい。
 違うバスだったが荷物室が偶然見えた中にミネラルウォーターが何箱も積まれていたので、そこから冷蔵庫に補充しているのだろう。
 イタリアでもこんな心配りするようになったのか、日本の旅行会社の要求がそこまで行っているのかは判らないが。
 そうこうしているうちに、バスはローマ広場を離れリベルタ橋にかかる。
 夜は闇の中だった海を見渡しながらの走行は、ヴェネツィアが海の上にあったことを思わせてくれる。
 そして本土に渡り切った瞬間、回りの景色は一変する。
 二日ほど見ていなかった自動車の姿や樹木が見れるから。
 
 本土にわたってすぐ、高速へと入る。
 行き先表示はフィレンツェの文字が。 ここから2.5時間程度南下した先にある。
 高速は事故も無く順調に流れる。
 所々工事しているところに差しかかるが、こちらでは中央分離帯を外して反対車線に行くように誘導しているのには驚く。
 日本の場合は中央分離が固定なので、仮に反対車線が空いていたとしてもできないので、リソースの有効利用と言う意味では勿体ないかも。
 その代わり対向車線で正面衝突の危険はあるが・・・
 途中フェラーラあたりのサービスエリアでトイレ休憩。
 料金は50セント也。
 ま、綺麗なトイレを使わせてもらうのだから、その位は仕方ないだろう。
 空を見上げると、多少雲はあるもののいい天気。
 このまま行ければいいなと思っていたのだが、そうはいかなかった。
 フィレンツェは山の中の街なので山に入っていくと途端に雲行きが怪しくなり、いつの間にか雨が降ってきた。
 しかも近づくにつれて激しくなってくる。 どうも添乗員さんの見た天気予報の方があたった様だ。
 豪雨とは言わないまでも結構な降りの中、フィレンツェ旧市街を眺められるポイントであるサンミニャートアルモンテ教会に到着。
 ここはミケランジェロ広場より標高で30m位高い位置になる。
 教会自体は地味なのだが、昔から変わらないのであろう風情を漂わせている。
 内部も司教区に置かれるドォーモの様な豪華な飾りつけは皆無だが、窓の少ない暗さが昔を思わせてくれる。
 ここの前庭からフィレンツェ旧市街を眺める。
 晴れていたらすばらしい眺望と言えたのだが、雨に煙った中ではドォーモとヴェッキオ宮殿がぼんやりと浮かぶのみ。 残念。
 その後ミケランジェロ広場まで降りて、再びフィレンツェ旧市街眺めるが状況は変わらず。
 それでもポンテヴェッキオを含めたアルノ川までを撮影できるポイントで2~3枚撮影してみる。
 天候悪化が恨めしい。 まだ半日あるのに・・・。
Kakou14

2007年7月 6日 (金)

イタリア旅行その13

3日目 ヴェネツィア ⇒ フィレンツェ編 その1 晴れ後雨

 3日目の朝。
 今日は午前中にフィレンツェへ向かう為に朝食時間が早い上に、ホテルをチェックアウトしてから食堂に向かうと言うスケジュール。
 赤ワイン一本のお詫びではちょっと安くないか?と思い始めた一瞬である。
 それでも前夜にスーツケースに大抵の荷物はしまい込み、必要最小限のモノは手荷物のボストンバッグに詰めて準備してあるので、朝の仕事は殆どない。
 天気も回復したので、またも朝の散歩に繰り出す。
 今度はリアルト橋側へ。
 サンマルコとは違った大運河の景色である。
 リアルト橋の中央付近まで登って写真を取って岸に引き返す。
 早朝にも係わらず、地元の人や働いている人向けのバールは既に営業中で、ショーケースには出来立てらしいパニーニや菓子パンが山盛りになっている。
 だが今日は朝食が早いので一個買って食べると言うわけにも行かないのだが・・・気づいたら、見た目がおいしそうに見えたチョコレートの菓子パンを相方が買って食べていた。 まぁ朝食のメニューを考えるとこっちの方が良かったのかも?と思う。
 母もヴェネツィアの象徴である大運河を橋の上から見物できて満足そうである。
 前日に時間があればアカデミア橋からも見物させたかったが。
 ホテルに戻り、スーツケースを外に出して部屋の中を最終チェックした後、ロビーに降りる。
 冷蔵庫で飲んだものの精算があるので、早めにチェックアウトしないと皆に迷惑をかける。
 フロントでの精算中、スーツケースが脇を通って船着場に運ばれていく。
 並べられたスーツケース群の中に我々の荷物があることを確認した時に、添乗員さんと天気の話になる。
 朝のテレビではトスカーナあたりは曇りみたいでしたねと聞くと、添乗員さんの見たテレビでは雨だと言っていたそうで。
 イタリアのテレビの天気予報は人によって言うことが違うのだそうだ。
 太陽が拝めないって事だけは一致しているから、良くはないと思うのが間違い無さそうだ。
 ちなみに、あちらでは天気予報は軍のおっちゃんが軍服着てやっている。
 軍装の見方が判らないので階級とかは判らないが、位が高いから正確とも言えないだろうなぁと思うのだけど。
 日本の様に気象予報士やらお天気キャスターの女の子がやっている天気予報とはちょっと違う・・・まぁあちらのテレビに出る女性はほぼセクシー系だから、朝の天気予報ってイメージにはほど遠いが。
 食堂で朝食を取った後、到着日と同じリアルト橋近くの船着場に移動。
 そこから水上タクシーでローマ広場に向かう。
 今回は一番最初に乗り込めたので、最後尾のオープンな座席に座る。
 やはり運河の上は露天の方が気持ちがいい。

2007年6月29日 (金)

イタリア旅行その12

2日目 ヴェネツィア編その4

 ゴンドラから降りると、そろそろ昼食の時間になろうとしていた。
 ツアー全員の集合場所になっている時計台の下へと急ぐ。
 もうこの時間になるとまともに歩ける状態ではない。
 流石にガイドさんのアメリカ人流入規制案に手を挙げようかと言う気になる(笑)
 人の流れが激しいヴェネツィアの小道を縫って昼食を取るレストランへと向かう。
 ここの場合、ジプシーが殆どいないのでスリやら何やらをあまり心配しないで歩けるのは助かる。
 本島に来るだけでも金がかかるので、貧乏な連中が悪さしに出稼ぎしづらいのだ。

 レストランにつくと、早速食事開始。
 イタリアに来て初めてのイタリアらしい食事である。
 魚介のフリッター、イカスミパスタとヴェネツィアらしい料理でまずは満足。
 後はまた夕食でとその時は思ったのだが・・・・

 午後からはフリータイム。
 一端ホテルに戻ることにして、その前に添乗員さんお勧めのレストランを紹介してもらうと、そこはホテル前の道から小道に一本入ったごく近くであった。
 意外と安い・・・あくまでもヴェネツィア本島の感覚では・・・値段がメニューには並んでいたので、フローリアンのコーヒー代を思えば数を頼んでも大丈夫かと。

 ホテルに帰ると、母がダウン。
 まぁ前日のほぼ24時間にわたる移動と時差ボケ、人ごみの移動で参ってしまったらしい。
 取り敢えず休ませる事にして、うちらも休憩。
 そのうち相方も寝てしまったので、テレビを点けてみるとF1モナコGPを中継していた。
 ご近所でやっているだけあって生中継である。 そしてモナコは晴れの様だ。
 こっちは雲行きが怪しくなってきてにわか雨がぱらついていると言うのに。
 実況も解説も何を言っているかチンプンカンプンだが、テレビ画面を見ることを邪魔しない実況は流石に文化を感じさせられ、思わず中継に見入ってしまう。
 同じ国際映像を使っていても、日本の様にタレントがおちゃらけたり、何かというと絶叫する実況だったりと言うことが無いので、落ち着いて見る事ができる。
 日本じゃお台場テレビが中継している限りこんな大人の中継は無理だろう。

 そのこうしているうちに相方が目を覚ましたので、ちょっと外を歩くかとリアルトのあたりまで行くと、また雨が落ちてきた。

Kakou13
 これではとてもあっちこっち行けないなと言うことで、ホテルに引き上げる。
 今まで、ヴェネツィアで一日中晴れたことが無い。
 普段の行いは悪くない筈なのだが。
 母の状態は夕食に出かけるのも億劫な様子だったので、途中のバールでパニーニとハイネケンを仕入れて帰る。
 だがまぁ折角の初日だったので、何とか宥めてレストランに出かけてもよかったかと。

 そして夜。雨は降ったり止んだりを繰り返している。

2007年6月26日 (火)

イタリア旅行その11

2日目 ヴェネツィア編その3

 デュカーレ宮殿の見物が終わると、次はヴェネツィアングラスの工房見学である。
 ま、工房と言っても観光客相手にガラス製品作りを実演する程度のもので、目的はヴェネツィアングラス製品の販売になる。
 一応、ガラスを吹いて製品作りを見物し、その上の階のヴェネツィアングラス製品の売り場で製品についての簡単な説明を受ける。
 何か買っていくか?と母に聞くと、最初は買って帰る気があったようだが、見てみて興味が無くなった様で、いらないと言う。
 陶磁器の方が趣味なのでガラスは気に入ったのがあれば程度の興味だったようだ。
 そうであれば長居する必要はないので、さっさと外へ出る事にする。
 添乗員さんにオプショナルの費用を手渡し・・・下手にホテルのロビーでやるより安全って事で・・・一端離れることを告げる。
 もはやコースとしての観光は終わっているので、これからはフリータイムとなる。
 ま、表立って見るところと言えばこの程度なので2時間あれば十分なのだが、ガイドさんの予定のせいで朝イチから観光となった為、昼食までかなり時間が余る。
 昼食前にゴンドラ遊覧するので、時間になったら集合場所へと指示を受け工房を後にする。
 サンマルコ広場に出ると、更に人が増えていた。
 尖塔に登る為のエレベーター前の行列も増えている。
 この尖塔は倒壊したのが20世紀頭だった事もあり、再建時にエレベーターを設置する余裕が初めからあったおかげで、他の登れる世界遺産と違って楽に上まで登れる。
 それだけ人がいても、まだ観光始めたばかりでカフェに入ろうって気にはならないらしく、広場のオープン席はかなり余裕がある。
 ここへ来たらフローリアンで何か飲まないと。
 最初は店内にとおもったのだが、外で飲むのも変わっていていいとの母の意見もあって、ステージにほど近い所に席を取る。
 持ってきてもらったメニューを見ると強気ないいお値段が並んでいる。
 そりゃまぁヨーロッパ最古と言われるカフェともなれば、これくらいは取ってもおかしくないとなるのだろうが・・・ 昼前と言うこともあって軽めの物を注文する。
 軽食まで頼んだらいったい何ユーロになることやら。
 待っている間ステージの方に目をやる。
 ステージ上では各パートの演奏者が準備をしているが、結構もっさりとしていて何時始まるのかと言う感じだ。
 今日一日演奏を続けるのだからあわてたって仕方がないと言うオーラが漂っていたような気がした。
 そうこうしているうちに注文した品がテーブルに届き、飲み始めると同時くらいに演奏もスタート。
 だが、他のパートと比べてフルートが一人下手。
 明らかに他のパート(ピアノ・ベース・バイオリン等)と比べて音が外れている。
 伝統あるフローリアンでこれでいいんか?と思うのだが・・・

 フローリアンで時間をつぶした後、集合場所の2つの柱に向かう。
 サンマルコ広場への海からの入り口を示すこの柱。 共和国時代は間にロープを渡して首吊り刑も執行していたと言う。
 もちろん、今はそんなことは全くうかがえないが。
 またも集合一番乗りである。
 人ごみを抜けてくるのに時間が掛かると思ったのだが。
 集合時間には全員集まり、ゴンドラ乗り場へと向かう。
 ここでは一度はゴンドラに乗らないと意味は無いので申し込んでおいたのである。
 勿論2度乗っても楽しめるが、3度目は判らない。
 人数が集まったので旅行会社主催オプショナルとなり、ただ乗るだけではなくアコーディオンと歌付となった。
 人数がいなければただ乗るだけだった訳で、個人で交渉したのと大差ない値段で音楽付なら悪くない。
 ゴンドラ3艘に分乗することになり、くじ引きで我々は先頭。
 音楽隊(アコーディオン1ボーカル1)は真ん中なので、ちゃんと聞こえるか疑問だったが、あちらもプロだけにそんな心配は無駄であった。
 サンマルコ広場からため息の橋の下を通って、ゴンドラは小運河を進む。
 このあたりへ入ろうとすると、タクシーを頼む以外に無いので、大運河とは違った風情が楽しめる。 澱んだ所の臭いも楽しめるが・・・
 ゴンドリエーレの櫓捌きと音楽を楽しみながら右に左にとゴンドラは進んでいく。
 ひょっとしてリアルトまで出て、そこからまたこっちに戻るのか?と思ったが、小運河を経由して出発地点とほぼ同じ位置に到着。
 大運河はモータボートやらヴァポレットやらが行き交うので、並が始終たっておりゴンドラだと結構揺れる事を考えると、このコースは結構いいコースだったかもしれない。
 当然、初めて乗って異国の風情を楽しめた母は大喜びである。

2007年6月24日 (日)

イタリア旅行記その10

2日目 ヴェネツィア編その2

 観光に出発。まずサンマルコ広場を目指す。
 ヴェネツィアの場合、小道の分岐や十字路には看板でサンマルコなりリアルトなりの方角を示していることが多いが、その矢印がそれぞれ正反対になっていることも多い。
 慣れないと「どっちに行けばいいんだ」となるが、どっちに行っても正解。
 単に右回りか左回りかの差でしかない事が多い。
 今回も添乗員さんとガイドさんでどっちに行くか?となったが、ガイドさん曰く「時計台下から入る方が」と言うことで右に行く。 朝の散歩は左に行ってサンマルコ寺院脇から入ったのだけど。

 サンマルコ広場はまさにヴェネツィアの顔。 朝も早いのに人が多い。
 レガッタの観客も含まれているのだろうが。
 まず広場からの解説が始まる。
 今回のガイドさん、何故かアメリカ人観光客には冷たい(笑)
 あまりにも多すぎるし船で何千人も一度に乗り付けるから、地元に金は落ちないのに人だけはあふれ返っていると言う。
 ビン・ラディンがまた何かやってくれれば連中は来なくなって助かると。
 まぁ連中はどこでもアメリカンなルールで動くから迷惑このうえないが、中国や韓国も似たようなもんだし、日本人がお行儀がよすぎるのかもしれない。

 広場の話に戻ろう。
 ナポレオン曰く「天井のない応接間」というのもあながち大げさではないが、ナポレオンの為にサンマルコ寺院のとい面の建物を新築しているので、元々はどうだったのか気になる。
 サンマルコ寺院は日曜のグループ入館を禁止されているので外観のみ。
 内部を見たい場合は2時過ぎの一般公開でとなる。
 その後はデュカーレ宮殿。
 ここは内部に入れる・・・と言うか、ここを見なかったらどこを見ると言うのだ?
 が、入る際にちょっとアクシデント。
 入り口で持っていたショルダーバッグが大きさに引っかかり預けろと言う。
 他にも3人ほど引っかかったが、貴重品を取り出した後、添乗員さんがクロークまで預けに行ってくれたので助かる。
 ここだけでなく、フィレンツェのウフィツィ美術館でもそうだが、セキュリティが厳しくなっている。
 ウフィツィではディバッグはNGと明確にされているが、まさかショルダーバッグ程度でそうなるとは思わなかった。
 もし今後行くようなことがあったら、荷物の持ち方を考えた方が良いかと。
 ウェストポーチ程度で納めるくらいでないと安心できないかも。
 さて、デュカーレ宮殿の中に話を戻すと、宮殿と言いつつもここの主は王様ではない。
 ドォーチェと呼ばれるいわば大統領の様な最高責任者の館兼執務室兼議場兼各種役所兼刑務所の建物である。
 みんな同じ建物にあるから、情報伝達や意思決定も早かったに違いない。
 日本でも同じようにできれば省庁の壁ってのも大分薄くなるんじゃなかろうか。
 実際、ヴェネツィア共和国では元老院や国民議会の他に極秘条項を扱う部門を含む各種委員会があり、秘密を要することや速さを求められる案件は議会を通さずに進められたものもあるという。
 基本的に人間は間違いや悪事をしでかすものと定めて、国家元首であるドーチェでさえその力を一人で行使できないようにしたヴェネツィア共和国ならではの宮殿かもしれない。
 内部は外国の賓客や大使・特使向けの力を誇示する為の豪華絢爛な場所と、自国民向けの味もそっけもない場所の差異は非常に大きい。
 外向けはまさにどこの国の宮殿と比較しても遜色ない飾りつけで、東地中海の女王と呼ばれた実力を示しているが、そんな示威行為が必要でない自国民向けでは完全に実務一辺倒の質素な作りである。 他の国なら自国民にも権力者を崇めさせることを目的に示威行為の装飾を行う場合もあるが、国家元首でさえ投票で選ぶヴェネツィア共和国の事、その必要は全く感じなかったに違いない。
 ずっと館内の見学が続くが昇り降りは階段以外にないので、膝の具合のよろしくない母にはちょっとキツい思いをさせてしまった。
 この手の歴史的建造物にエレベーターやエスカレーターをつける訳にもいかないし。